小さな頃は、大切なものがいくつあってもよかった それが失くなることを知らなかったから だから失うことを恐れる必要はなかった ただ好きでいればよかった それだけで、よかった 『周くんの傍にいること』 それが私にとって大切なこと それ以上に大切なことはない、そう思っていた 大切な人〜you still love〜 1 日本を離れてイギリスへ留学することを、私はずっと周くんに言い出せないでいた。 12月24日のクリスマスイブ。 12月25日のクリスマス。 12月31日の大晦日。 1月1日の初詣。 2月14日のバレンタインデー。 そして、2月29日。日付が変わるまでの一分間の周くんのお誕生日。 いつでも言うことはできたのに、言い出せなかった。 口にしたら、私はきっとイギリスへ行けなくなる。 周くんが大好きな人だから…誰よりも大切な人だからこそ、言えなかった。 6日後に卒業式を控えた、3月1日。 授業もなくなり、毎日卒業式の予行練習を行う日々が続いている。 ホームルームが終わってガランとした教室で、どこまでも続く青空を一人見上げていた。 不意に教室のドアが開き、待っていた人が姿を見せる。 「、待たせてごめんね」 「ううん、そんなに待ってないから。もういいの?」 ホームルームが終わった後、周くんはテニス部の後輩に「相談したいことがある」と呼び出されていた。秋が過ぎてお互いに部活を引退した私たちは、毎日一緒に帰っていた。今日もそのつもりでいたから、私は周くんが戻ってくるのを教室で待っていることにしたのだった。 「うん、もう済んだよ。さ、帰ろうか」 「うん。あ、周くん」 「ん?なに?」 そう言いながら差し出された手に自分の手をのせると、優しく手を繋がれた。掌はラケットでできたマメがあるけれど、ごつごつしていなくて綺麗な手だ。周くんの手は優しく温かくて、とても安心する。少し力を入れて握り返すと、優しい微笑みと一緒に少し強めに握り返してくれた。 「今日なにか用事ある?」 「別に予定はないけど?」 「ホント?あのね、行きたいところがあるんだけど」 「いいよ。どこに行くの?」 「昨日周くんの家で頂いた紅茶を売ってるお店に行きたいんだけど」 昨日2月28日の真夜中0時0分から0時0分59秒までは、2月29日。閏年生まれの周くんのお誕生日で、私は不二家で彼のお誕生日を彼の家族と一緒にお祝いした。その時に由美子さんが淹れてくれた紅茶がおいしかったから、茶葉を売っているお店を由美子さんに教えてもらった。そのお店の場所を訊いたら、由美子さんはにこやかに微笑んだ。 ――周助も知っているお店だから、二人でデートで行くといいわ そう言われて、残り少ない時間を少しでも多く周くんの傍で過ごしたくて、私は彼を誘うことにした。 お店は青春台駅から三駅先の駅前から10分くらい歩いた所にあった。 フランス風の建物で、窓には透かしの模様が入った白いカーテンがかかっている。店の入口には花の咲いたプランターが置かれていて、可愛らしいのに爽やかな雰囲気のお店だった。 「ここはね、カフェもやってるんだよ」 お店の扉を開きながら、周くんが教えてくれた。 中に入ると、紅茶のよい香りが店内を満たしていた。 「…いい香りがする」 「せっかくだから、紅茶を飲んでいこうか」 「え?いいの?」 「もちろん。昼御飯まだだし、お腹空いてるだろ?」 「うん」 「じゃあ決まりだね」 お昼を食べるには少し遅い時間だからか、店内にいる客は5人くらいだった。 窓際の光が差し込む席に座ると、優しそうな笑顔を浮かべたお店の人が水が入ったグラスを銀色のトレイに乗せてやってきた。 「やあ、周助くん。久しぶりだね」 「こんにちは、マスター」 「今日は可愛い子と一緒なんだね」 「ええ、僕の彼女なんです」 え?知り合いなの? 私は周くんとマスターと呼ばれた人を交互に見遣ってしまう。 すると周くんが楽しそうにクスッと笑った。 「紹介するよ。この人はマスターのさん。何度か来てるうちに仲良くなったんだ」 「アハハ。紅茶に興味がある男の子は珍しかったから、最初は好奇心で声をかけたんだ。だけど話してみたら、物腰が柔らかい好青年で、仲良くなるのに時間はかからなかったよ」 そう言って、年輩のマスターはにっこり笑った。 「さて、ご注文は?」 「僕はミックスサンドとオリジナルブレンドの紅茶を。 はどうする?」 「えーと…」 いろいろなメニューがあってなかなか決められない。周くんが頼んだミックスサンドも美味しそうだし、スプリングサンドも美味しそう。オリジナルサンドとか生ハムとチーズのサンドイッチも気になる。 「……周くんのお薦めは何?」 散々迷って決めかねた私は訊いた。マスターの前でちょっと失礼かなと思ったけど。 「どれも美味しいけど、お薦めはオリジナルサンドだな」 そう教えてくれた。 すると微かな笑い声がして、声のした方を見るとマスターが笑っていた。不思議に思って首を傾げると、マスターは愉しそうな顔で口を開く。 「君たちは仲がいいんだね。見ていて微笑ましいよ」 その言葉が恥ずかしくて、頬がかぁっと赤くなるのがわかった。けれど、それを誤魔化すように、マスターのセリフを聞き流した振りをして注文をする。 「あの、オリジナルサンドとダージリンファーストフラッシュをお願いします」 「かしこまりました。少々お待ち下さいね」 注文を取るとマスターはキッチンへ戻っていった。 しばらく話をして待っていると、ウェイトレスさんが注文したものを持ってテーブルへやってきた。 「お待たせ致しました。オリジナルサンドとダージリンファーストフラッシュのお客さまは…」 「あ、はい」 私の前にオリジナルサンドとポットとティーカップが置かれた。 3種類のサンドイッチが真っ白なスクエアプレートに盛り付けられている。 「ハーブとチキンのサンド、生ハムと野菜のサンド、海老とアボガドのサンドでございます」 ウェイトレスのお姉さんが笑顔で教えてくれた。 そして、彼の前にはミックスサンドとポットとティーカップが置かれた。お皿のふちに青いラインが引かれた丸いプレートに三角形に切られたサンドイッチが盛られ、ポテトサラダが添えてある。 私の視線に気付いたのか、周くんがクスッと笑った。 「食べないの?」 「えっ、食べるよ。綺麗な盛り付けだから驚いちゃって」 「フフッ、そういうところ可愛くて好きだよ」 「も、もうっ」 少し遅めのランチを美味しい紅茶と一緒に二人でゆっくり味わった。 そのあとでダージリンのオータムナルを買って、お店を出た。 青春台の駅に戻ると、もう夕方になっていた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。 急に淋しさが込み上げてきて、思わず周くんにギュッとしがみつく。 「?どうしたの?」 私が人前で周くんに抱きつくことなんて滅多にないから、彼は驚いたようだった。 このまま時間(とき)が止まってしまえばいいのに…、と思った。 彼の胸に顔を埋めると、大きな手で頭を優しく撫でてくれた。 「…好き。大好き。周くんが大好きなの」 小さな声で言うと、顎をとられ上を向かされた。 周くんの色素の薄い瞳に私の顔が映っているのがわかるくらい、彼の顔が近づいてきた。 刹那。 温かい唇が触れた。 優しいキスが唇に落とされて、優しく抱きしめられる。 「が好きだよ。明日も明後日も、その先もずっと、が大好きだよ」 耳元で甘く囁かれた。 明日も明後日も、その先もずっと…私が傍にいなくても、好きでいてくれる? 言えない言葉を心の中で呟く。 言える勇気があるなら、留学の話はとっくにできている。 「明日も明後日も、その先もずっと周くんが大好き」 ――たとえ傍にいなくても そっと身体を離して周くんの顔を見上げると、彼はにっこり笑っていた。 私の顔にも自然と笑みが浮かぶ。 「もっと一緒にいたいけど、昨日無理させちゃったから、ね」 夕べのことを思い出してしまって、瞬く間に頬が熱くなる。 恥ずかしくて、穴を掘って埋まってしまいたい。 「クスッ。 家まで送るよ、」 不意打ち過ぎる言葉に声がでなくて、頷くのが精一杯だった。 家の前まで送ってくれて、帰り際にそっと抱き寄せられて甘いキスをされた。 「夢で僕に逢えるように。おまじないだよ」 フフッと楽しそうに笑う彼に、私は背伸びをしてお返しに頬にキスをした。 そして、彼の言葉を真似る。 「夢で私に逢えるように、おまじないね」 ちょっと恥ずかしかったけど、周くんの目を見て言うと、彼は幸せそうに微笑んだ。 額に触れるだけのキスが落とされる。 「明日の朝は迎えにくるよ」 「わかった、待ってるね。気をつけて帰ってね」 「ありがとう」 私は周くんの姿が見えなくなるまで見送った。 少しでも長く周くんを見つめていたかった。 空を見上げると、細い月が静かに光を放っていた。 月は私の気持ちを表しているように、切なく輝いて見えた。 NEXT>> BACK |