世界が暗闇へ変わる

 君が傍にいないだけで

 果てしない闇に飲まれてしまいそうだ


 何を失っても、君だけは失いたくない――




 大切な人〜you still love〜 10




 部室を飛び出して、青春台駅に向かって全力で走り続ける。
 学校から駅までの距離はこんなに長かっただろうか?
 数分の距離が何時間にも思える。
「周助!」
 名前を呼ばれて反射的に声がした方へ顔を向けると姉さんがいた。
「乗って!」
 その声に促されるまま車のドアを開けて飛び乗った。
 ドアを閉めたと同時に車は走り出した。
 街中を通り抜け、まっすぐに成田へ向かう。

 僕はへの想いと感情をどうすることもできずに、祈るように手を組んでいた。
 胸が苦しくて、息が止まりそうだ。
 
 僕にとってがどれほど大切な存在か―――

 思いしらされた。


「周助」
 しばらく走った所で赤信号になり車が止まると、姉さんが僕を呼んだ。
 顔を上げて姉さんを見ると、姉さんが僕に何かを差し出していた。
「なに?」
ちゃんからよ。今日、届いたの」
から…」
「ええ。だから、知ることができたのよ」
 何が、とは訊かなくてもわかる。
 僕は姉さんから手紙を受け取った。
 宛名は不二由美子様。僕の名前ではなかった。
 すでに開封されている封筒から中身を取り出す。中には一枚の便箋と青い封筒が入っていた。
 便箋はから姉さんへ宛てた手紙だった。
 今日イギリスへ留学すること、それを僕に言っていないということ、そして謝罪。
 それだけの内容だった。
 でも、彼女はきっとそれだけ書くので精一杯だったのだと思う。
 便箋に綴られている文字は少し震えている。
 
 青い封筒は開封されていなかった。
 それは僕への手紙だった。
 封筒の隅を破って便箋を取り出す。


 周くんへ
 留学することをずっと黙っていてごめんなさい。
 何度も言おうと思った。言わなくちゃって思ってた。
 それなのに、どうしても言えなかった。
 周くんにどう思われるかって考えただけで、とても恐くて言えなかった。
 臆病でごめんね…。
 きっと怒ってるよね。
 私のことを嫌いになるかもしれない。
 もう二度と顔を見たくないって言うかもしれない。


「そんなことあるはずない。世界が終わっても、そんな日は永遠に来ない。もう君以外愛せない。僕は君しか愛せない…!」
 ぐしゃっと便箋を握り潰すと、横から頭を小突かれた。
 訝し気に姉さんの横顔を見ると、呆れたようにため息をつかれた。
「周助、最後まで読みなさい」
「姉さん?」
「もう一枚あるじゃない。周助はちゃんの言葉を無視するの?」
の…」
「周助の大切な人でしょ。何があっても守ると決めたのではないの?」
 そうだ…。
 は僕がずっと守ると誓った唯一人の大切な人。
 彼女が傍からいなくなることだけしか、頭になかった。
 がどういう気持ちでこれを書いたか、知らなければ―――。


 でも、それでも……。
 ずっと周くんを想っています。
 あなた以上に大切な人はできないから。
 世界中の誰よりも、あなたが大好きです。
 それが私の真実だから。
 再会した時に私のことをまだ好きでいてくれたら……夢じゃないことを信じることができるように、抱きしめてください。


―――」
 瞳を堅く閉じて、唇を噛み締めて、拳を握りしめた。
 そうでもしなければ、泣いてしまいそうだった。
 彼女の深い想いに胸が詰まる。
 どんな想いで手紙を書いて、留学を決めたのか、痛いほどに伝わってきて。
 脳裏に教室での出来事が甦った。
 ――どこにいてもあなたが大好き


 車がガクンと止まり、思考を断ち切る。
「周助、急いで!」
 車から飛び降りて走り出す。
 イギリス留学をするのが彼女の意志なら、僕にそれを止めることはできない。
 でも、伝えなくてはいけない大事なことがある。
 テニス留学のことも、僕の気持ちも、まだ何も話していない。
 まだ何も伝えていない。

 間に合ってくれ…!



 ――ロンドン・ヒースロー空港行573便の搭乗をまもなく終了致します。
 繰り返しご案内申し上げます。ロンドン・ヒースロー空港行――


「周助君」
 聞き覚えのある声に振り向くと、搭乗口付近に一人の男性が複雑そうな表情で立っていた。
「おじさん!さんは!?」
「つい数分前に行ったよ」
 突き付けられた事実に、足下が崩れ落ちそうだ。
「間に合わなかった……」
「すまない、周助くん」
 落ち着いた低めの声で言われた言葉にハッとする。
 目の前でのお父さんが頭を下げていた。
「勝手な娘ですまない」
 再度謝罪の言葉を口にして、おじさんは顔を上げた。
「周助君、これを。娘から…から君が来たら渡して欲しいと頼まれた」
 目の前に銀色のペンダントが差し出された。
 小さな十字架のついたそれは、が好んでつけているものに酷似している。
 僕は差し出されたペンダントを受け取って見つめた。
「それを渡してくれればいいとしか言わなかったが」
 それは、僕なら意味がわかるということか?
 だったら、このペンダントは酷似してるんじゃなくて、が大切にしていたペンダントだ。
 初めてのデートの時、彼女がつけていたのがこのペンダントだった。
 とても気に入っているとが言っていたのを思い出す。
 ほかのペンダントを失くしても、これだけは失くせないと言っていた。
 それを彼女が僕に渡してと頼んだ。その意味がわからないほど、僕の気持ちは半端じゃない。
 握りしめたペンダントを通しての想いが伝わってくるようだった。

 、君と再会できる時まで、ペンダントは預かっておくよ


「……いつでも君を愛してる」
 空に舞い上がる白い機体に向かって呟いた。
 この声がに聴こえるように強く祈りながら。




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