桜が緩やかな風に舞う

 穏やかな時間だけど

 とても淋しい

 隣に君がいないから――




 大切な人〜you still love〜 12




 桜の花が咲き乱れる季節から、新緑の眩い季節になって数日が過ぎた。
 大学生になって約二ヶ月。
 新しい生活に慣れるまでの忙しさは、僕の気をいくらか紛らわせてくれる。
「あと一週間か…」
 放課後のテニスコートで、真っ青に澄み渡る空を見上げた。
 遠い空の下、イギリスで、もこの空を見上げているだろうか。
「不二」
 名前を呼ばれて、声のした方へ顔を向ける。
 そこには少し困惑したような表情の手塚が立っていた。
「どうかしたの?」
 訊くと、手塚は眉間にしわを寄せた。
の事を想うのはいいが、コートの外にしておけ。怪我をするぞ」
「ああ、わかってる」
「それならばいいが」
 言って、手塚の切れ長の瞳が僕を捕える。
「一人でなんでも抱え込むなよ、不二」
 相変わらず鋭いね、君は。
 そして、優しい。
「サンキュ」
 礼を言うと、手塚は切れ長の瞳をフッと細めた。
「気にするな。お前は俺の大事な友人だ。困っているのを見て放っておけないだろう」
 言ってすぐに、手塚は踵を返した。
 自分の言ったセリフに照れているのだろうか。
 慣れない事を言ってまで気遣ってくれた手塚の気持ちが嬉しかった。


「………」
 コートを囲むフェンスに背中を預け、再び空を見上げた。
 澄んだ青空は嫌でも卒業式の日を思い起こさせる。

 可愛い笑顔と愛の囁きを残して留学してしまった残酷な君
 だけど、君を嫌いになれない
 僕は――
「君しか愛せない」
 君を捕まえて、腕の中に閉じ込めて
 君の望む言葉を何度でも囁いて、桜色の唇にキスを贈るから
 首にかけた銀色の十字架に、何度でも誓う


「不二っ!」
 フェンス越しに声をかけられて振り向いた。
「英二、どうしたのさ?今日は休むんじゃなかったの?」
 昨日の帰り道、僕は英二から人と会う約束があるからクラブは休むと聞いていた。
 中高生の部活とは違うから、出るのも休むのも自由だ。
「コレ!!」
 英二が突き付けるように雑誌を目の前に広げた。
 彼が手にしている雑誌は、数日前に発売された海外向けの雑誌だ。
「雑誌がどうかしたの?」
「どうかしたじゃなくて!なんで不二が載ってるんだよ!?」
「ああ、そういうことか」
「それじゃわかんないって!」
「説明するから少し落ち着いたら?」
 呆れたように言うと、英二は顔をしかめた。
 そこまでむうっとしなくてもいいのに。
 まあ仕方ないか。感情豊かなのが英二らしいから。

 大学の入学式が始まる前、卒業式の翌日に僕はプロ宣言をした。
 予定より早くプロとしてテニスをしていく決意を固めたのは、の留学がきっかけだ。
 彼女を幸せにするために。
 彼女を二度と離さないために。
 に相応しい、彼女を愛し守れる男になるために。
 数日後、国内の雑誌や新聞で僕がプロ宣言をしたことが報じられた。扱いは小さかったし、春休みだったから騒動は起こらなかった。
 それから一ヶ月ほど経って大学生活が落ち着いた頃、海外――イギリス向けのテニス雑誌の取材を申し込まれた。
 その時にここで撮影された写真とインタビューが載っているのが、英二が持っている雑誌だ。

 一通り説明すると納得したのだろう。
 英二がしきりに頷く姿が目に映った。
「そういうことか。さっすが不二。やっぱりそれってさ…」
 茶色い瞳が言うべきか言わないべきか悩むように揺れている。
 まさに類は友を呼ぶ、だね。
 君も手塚も、どうしてそんなに優しいんだろうね。
「うん、が見るかもしれないから」
「そだね。きっと見てるよ」



 日本からロンドンへの直行便で約12時間。ようやくイギリスに着いた。
 空港から迎えのバスに乗って一時間程の距離に泊まるホテルがある。そこから歩いて15分くらいの場所にテニスコートがあるらしい。
 明日からの試合や練習に備えて休むように、とホテル到着後に監督から言われた。
 メンバーはそれぞれ割り振られた部屋に散っていく。
 僕は手塚と同室だった。
「不二?」
 荷物を置いて外へ出ようとした僕に、訝し気な声がかかった。
 黙って行くつもりはなかったが、反対されるかもしれない。
「テニスコートって近くなんだろ?ちょっと見て来ようと思ってさ」
「一人でか?」
「そのつもりだけど…君も行く?」
 わざとおどけたように言うと、切れ長の瞳がフッと細められた。
 適わないな。君には僕の本心なんてお見通しみたいだね。
「俺はいい。一人になりたいのだろう?気をつけて行ってこい。それから…夕食までには戻ってこい」
「うん、そのつもりだよ」
 周辺地図を持ってホテルを出た。場所は頭に入っているけど、万が一道に迷った時に困る。
 あと二時間もすれば、じきに日暮れになるだろう。
 傾き始めた日射しの中、道沿いに歩いて約15分。大きい公園が見えてきた。
 フェンスに囲まれたテニスコートに向かって足を進めた。
 テニスコートは全部で6面あり、かなりの広さがある。
「……いよいよか」
 ためらいはない。
 迷いもない。
 けれど。
 可愛い笑顔が浮かんでは消える。
 逢えるという保証はない。
 だけど、運命があるというのなら。
 お互いの想いが同じなら。
 と逢えると信じる。
 華奢な身体を抱きしめて、柔らかい唇に熱いキスを落として。
 何度でも囁くよ。

「君を愛してる」


 例え胸の鼓動が止まっても、僕の想いは消えない

 誰にも消せない

 約束を守るために

 愛するのために

 僕はここにいる


 見上げた空は彼女のはにかんだ笑みのように、優しく色付き始めていた。




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