桜のきれいな季節も

 暑い夏の日射しも

 秋の夕暮れのせつなさも

 冬の差すように冷たい空気も


 ずっとあなたの隣で感じていたい




 大切な人〜you still love〜 13




 エスターが見せてくれた雑誌は、この国ではメジャーなテニス雑誌だった。
 イギリスに来てから自分のことで手一杯で、本屋に行ったことはなかった。
「……不二周助プロ」
 微笑む周くんの写真の上の見出しには、そう書いてある。
 ――大学を卒業するまでに、僕はプロになってみせる。そうしたら――
 あの日の夕方、周くんが言った言葉が脳裏を掠める。

 自惚れていい?
 信じていい?
 あなたが私を迎えに来てくれるって
 まだ私を愛してくれているって
 ――結婚しよう
 真剣な瞳でプロポーズしてくれた、周くんを信じていい?

・・・」
 名前を呼ばれてはっとする。
 エスターが心配そうな表情で、私を覗き込むように見ていた。
「ごめんなさい。大丈夫よ」
「無理して笑わないで。辛いなら泣けばいいの」
「エスター」
「どんな事情があったのか私は知らない。でも、泣き顔より辛そうな顔をするを見るのは辛いわ」
 海のように青い瞳が細められる。
 彼女の優しさが嬉しくて、我慢していたのに涙が溢れてきた。
「……周くんがつけているクロスのペンダントね、私のなの」
「うん」
「…愛してるって伝えたくて…っ、だから…」
「きっと伝わっているわ。クロスのペンダントは僕の大事なお守りです。大切な彼女といつでも一緒にいられるように、って書いてあるわ。だから届いているわよ」
 エスターが優しく微笑む。
「ありがとう、エスター。急に泣いちゃってごめんね」
 目元に浮かんだ涙を指先で拭いながら言った。
 するとエスターは優しい笑みを浮かべたまま、首を横に振った。
 そして私が落ち着くまで待っていてくれた。
「エスター。今日はどこに連れてってくれるの?」
 一昨日、学校で遊ぶ約束をしていたけど、どこに行くか訊いていなかった。
 この国に来てからニヶ月ちょっと。近所に買い物に行ったり散歩したりはしていたけど、考えてみれば誰かと出かけるのは久しぶりだった。
 学校帰りに数人のクラスメイトとちょっと遊んで帰る、ということは何度かあったけど。
「入学式のあとと話した時にテニスが好きって言ってたでしょ。だからテニスの観戦をしに行こうと思っていたんだけど……」
 言い辛そうに、彼女の眉間に微かなしわが寄った。
「思っていたけど?」
 続きを促すように訊くと、エスターは首を傾けた。
には辛いかなって」
「ううん、平気。観たいな、テニスの試合」
「そう?じゃあ、決まりね。でも私あなたに謝らなくちゃいけないわ」
「え?」
「テニスの試合って言っても、国内の選抜メンバーの練習試合なのよ」
「あ、もしかしてエスターの彼が出てる、とか?」
 エスターは苦笑した。
「実はそうなの。だから、ごめんね」
「くすっ。ううん、気にしないで。エスターの彼がどんな人か楽しみだわ」



 寮を出て、私たちはバス停へ向かった。
 試合が行われる場所は市街から少し離れていて、徒歩で行くには遠いらしい。
 停留所に来たバスに乗って15分くらいたった頃、目的地が見えてきた。
 フェンスに囲まれたテニスコートは全部で6面ある。青学のテニスコートよりも広い。
 最寄りのバス停で降りて、少しだけ歩いた。
「選抜メンバーってかなりの人数がいるのね」
 フェンス越しにコートを眺めながら言った。
 着ているユニフォームが揃っているから、選抜以外の人は混じっていないと思う。そう考えると、少し人数が多いような気がした。
「最終的にもっと絞られるらしいわ。今日が合宿の初日で、これからの試合で人数を減らしていくそうよ」
「そうなの?」
「うん、レイから聞いたのだけど」
 そうよね。プロの試合情報はすぐにわかるけど、アマチュアだと身近にそういう人がいなかったら、わからないものね。
 エスターの言葉に私が頷いていると、足音が近づいてきた。
「エスター」
 金髪の背の高い人がエスターに向かって右手を振っている。
 もしかして…。
「レイ、応援に来たわよ。この人はクラスメイトの。長い黒髪がキュートでしょ」
 エスターがレイさんに私を紹介してくれた。
 それはいいけど、長い黒髪云々は必要ない気がする。
「初めまして。レイ=スチュアートです。キミがさんか。エスターから話を聞いてるよ。なんでも演技の表現力はジュリア先生のお墨付きなんだって?」
 エスターと彼女の恋人は考え方まで似ているみたい。
 言われて嬉しくない訳じゃないけど、どう返事をすればいいのか迷ってしまう。
 私は言葉を選びながら、口を開いた。
「初めまして、レイさん。です。エスターにはいつもお世話になっています」
「そうかあ?世話になってるのは、むしろエスターの方じゃないか?」
「そんなことないです。いつも助けてもらってばかりで…」
、それは私のセリフ」
「そんなことないと思うけど」
 そんなたわいのない話をしていると車のエンジン音が聞こえて、テニスコート脇の道路に一台のバスが止まった。
 路線バスではなく、観光するのに乗るようなバスだった。
「試合相手が着いたようだ」
「試合相手?」
 私とエスターの声が重なった。
「ああ、そういえば言ってなかったな。今日の試合は日本の選抜メンバーとの練習試合なんだ。日本の全国区プレイヤーばかりだと聞いているから、すごく楽しみだよ。彼らの中には何人かプロも混じっているしね」
 プロのテニスプレイヤーがいると聞いて、胸が高鳴る。
 もしかしたら、そのメンバーの中に周くんがいるかもしれない。
 心臓が破裂しそうなくらいの緊張感が全身を支配していくような気がする。
「ねえ、レイ。その中に不二周助って人、いる?」
 周くんが選抜メンバーにいるなら、逢うことができる。
 会話ができなくてもいい。
 遠くから彼の顔を見られるだけでいい。
 それ以上のことは望まないから。
 だから――。
「そいつなら、今バスから降りた奴がそうだぞ」
 バスの乗車口を見つめていた私の耳に、後ろから低い声が聞こえた。
 エスターの声も聞こえた気がするけど、よくわからない。

 周くんしか、見えない。

「……っ」

 夢にまで見た、誰よりも大切な―――大好きな人

 微かな風に揺れる、色素の薄い髪

 穏やかな微笑み

 ジャージのポケットに手を入れるところも

 なにひとつ変わっていない

 瞬きすることも

 瞳を逸らすことも

 動くこともできなくて

 私は周くんだけを見つめていた


 周くんが幻じゃないことを

 これが夢じゃないことを

 私に笑いかけてくれた笑顔が本物だということを



 誰か教えて――




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