桜の舞う風景の中に

 何度となく君の幻を見た

 手を伸ばせば届く距離なのに

 抱きしめることは叶わない




 大切な人〜you still love〜 14




 風が緑の薫りを誘う。
 真っ青な空には、雲ひとつない。
「暑くなりそうだね」
「ああ、そうだな」
 隣に座っている手塚が同意した。
 今日は合宿の一日目。
 昨日の夕方見に行ったテニスコートで、練習試合をすることになっている。
 相手はイギリスナショナルチームから選ばれた精鋭揃い。
 久しぶりに強い相手と対戦できることに、僕の胸は期待に高鳴っている。
 それに、もしかしたら――。

 

「おい、不二」
「ん?何、跡部」
 バスの通路を挟んで右隣の席に座る跡部に視線を向ける。
 跡部は口元を僅かに上げて不敵に笑った。
「フッ、無自覚かよ。お前がを溺愛しているのは知っていたが、これほど重症とはな」
 僕がをこの上なく愛しているのは紛れもない事実。
 だから否定する気は全くない。
 だけど、無自覚と重症っていうのがわからない。
 僕のへの愛が重症という事か?
「跡部?」
 名前を呼んで、跡部を見据える。
「ま、いいけどな。想うのは個人の自由だ。ましてや、大切な恋人なら尚更だろ」
 ……心の内で呟いていたはずが声に出ていたらしい。
「重症というよりは瀕死に近いけど?」
「フン、相変わらずだな」
「それは君も同じだろ」
 言うと、跡部は片眉を上げて鼻で笑った。

 そうして話をしているうちにテニスコートへ到着した。
 ホテルから歩いて15分程の距離だから、バスだと5分もかからない。
 歩いて来られる場所にバスなのは、午後から市内観光という日程だからだ。学生らしく少しはそういうものが必要だろうという配慮らしい。
 テニスバッグを左肩にかけて、バスを降りた。
 その瞬間、周囲の音が聞こえなくなった。


 逢いたいと願っていた

 可愛い顔を見たいと願っていた

 微風に踊る艶やかで柔らかな長い黒髪

 まっすぐに僕に向けられた視線


 泣かないで

 君が幻じゃないように、僕も幻じゃないから

 変わらずに君だけを愛してるから



 今すぐ走っていって華奢な体を抱きしめたい。
 愛を囁いて甘くて柔らかい唇にキスをしたい。
 鈴を転がしたような澄んだ声を聴きたい。

 うごめく感情をどうにか押し殺して、僕は微笑んだ。
 今彼女を抱きしめてしまったら、自分を抑えることができなくなる。
 だけど、練習試合が終了したら必ず約束を守るよ。
「不二、いいのか?」
「……団体行動を乱せないだろ」
「そうだな」
「ごめん、手塚」
「気にするな。あいつならわかってくれるはずだ」

 愛してるよ

 伝わるように祈りながら、想いを込めての顔を見つめた。



 イギリス選抜チームの監督と榊監督が挨拶を交わす。
 その間に僕たちは準備運動をして、十分なウォーミングアップを済ませる。
 今日の練習試合はダブルスはなく、シングルスのみで行われる。それは合宿前から決められていたことだから、誰も意義を唱えない。僕を含め個性が強いメンバーばかりだから、ちょうどいいかもしれない。
 僕は第5試合に出ることになった。
 テニスコートは全部で6面あるけど、勉強も兼ねて、試合は一試合ずつ、ワンセットマッチで行われている。
 今は第4試合で真田がゲームしている。
 第2試合から始まって、どのくらいの時間が過ぎているだろう。
 選抜メンバーに選ばれてここにいるのに。
 目の前の試合に集中しなければ、自分の試合に向けてモチベーションを高めなければならないのに。
 それなのに、が気になって仕方がない。
 彼女の前で不様な試合はできない。絶対に。
「不二?」
 かけられた声にハッとする。
「ああ、真田。お疲れ。次は僕の番だね」
 コートに向かう途中で、僕はへ視線を向けた。
 すると彼女は僕の大好きな笑顔で微笑んでくれていた。

 頑張って、周くん

 声は聞こえなかった。
 だけど、彼女の唇がそう動いていたように見えた。
 不思議と高ぶっていた気持ちが落ち着いていく。
 僕はに微笑んで頷いてみせた。

 が見守ってくれている。
 応援してくれている。
 それだけで、思うようにプレイができる。

 サイドラインぎりぎりに打ち込まれたサーブを返す。
 トップスピンのかかったボールにスライスをかけ、つばめ返しを決める。
 威力のあるダンクスマッシュを羆落としで封じる。
 逆風を味方に、白鯨でポイントを取った。
 ロブをスマッシュで決める。
 鋭いスピンがかかったボールを蜉蝣包みで返す。

 そして―――。

「ゲームセット。ウォンバイ不二」

 試合は僕の勝利で終わった。
 相手選手との試合を終えて礼と握手と済ませて、フェンスの外へ視線を向けた。
 そこには嬉しそうに笑うの姿があった。
 彼女の傍に駆け寄りたい気持ちを抑えて笑った。

 ありがとう、
 勝てたのは君のおかげだよ



 君を抱きしめて君の温もりを感じて

 甘くて柔らかい唇に何度も触れて

 愛してるじゃ足りない僕の気持ちを

 あと少しで伝えられる


 早く君の声を聴きたい

 君を思いきり抱きしめたい



 ――、君に触れたい




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